Special Interview
Vol.1
展示の人工衛星は、いわば剥製のようなもの。
日々、生き物のように進化している
衛星のセンサーがあることも
忘れないでほしい。
宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター 主任研究員
久世暁彦
2015.12.21
トピックス一般の方向けニュース

インタビューシリーズ JAXA久世氏に聞く公開

温室効果ガス観測のフロントランナーとして
満身創痍で走り続ける「いぶき」。

ーーまずは、久世さんと「いぶき」プロジェクトとの関わりをお聞かせください。

久世 「いぶき」とは長い付き合いです。1996年に環境研の方々と共同で実験をした頃を起点とすると、それから20年が経ち、私の社会人人生の大部分を「いぶき」と関わって過ごしてきたと言えるかもしれません。プロジェクトのはじまりは2003年。私はセンサの設計、開発、試作機での実験などに携わり、2007年に搭載する観測機器が完成してからは主にセンサの評価をしてきました。そして2009年、「いぶき」は宇宙へと旅立ちました。言葉にすると簡単に聞こえますが、現在、宇宙にいる「いぶき」からきれいなスペクトルデータが送られてくるまでには苦難の長い道のりがありました。今、全大気の二酸化炭素平均濃度が400ppmに近づいた、あるいは超えたと言われていますが、基本的に全球二酸化炭素平均濃度は1年間ではその1%以下、2 ppmしか増えません。その極めて微量な二酸化炭素の濃度変化を「いぶき」は宇宙から測ろうというのですから、チャレンジングなプロジェクトでした。

打上げ後は、私はJAXA側の衛星運用を担当しています。「いぶき」は、まずインターフェログラム(干渉波形)というデータを取得します。これを地上でフーリエ変換という数学的処理をして環境研へ提供する、というところまでがJAXAの仕事です。実はこのデータ処理の方法は、2009年の打上げ後から10回以上バージョンアップしています。人工衛星というと、宇宙に打上げたら後は軌道を回るだけで終わり、と思われている方が少なくないかもしれませんが、「いぶき」に関しては、打上げてからも改善を重ねて日々チャレンジが続いていると言えます。私としては、より良いデータを取得し、そのデータを研究者が使って環境問題へ貢献するために、精度の高いデータ取得を突き詰めていきたいと、いまも日々取り組んでいます。

ーー久世さんは、まさに「いぶき」のセンサーの生みの親のような存在ですね。その「いぶき」は、無事に5年間の定常運用期間を終え、後期利用運用に入っていますが。

久世 今の「いぶき」は人間で言えば還暦を超えて、いよいよ高齢者になりました。地球観測衛星の中ではかなり長寿の部類です。5年間の定常運用期間では大きな不具合なく元気だったのですが(2010年パドル駆動部の故障はありましたが)、後期に入ってから実は入院をするような病気を3回経験しています。

一つ目は太陽電池パドルの故障です。2014年の5月24日、太陽電池パドルの片翼が故障しました。しかし、「いぶき」は、過去の「みどり」(ADEOS)注1「みどりⅡ」(ADEOSⅡ)注2での経験を活かし、片方が壊れても片方で維持するという冗長系という設計を組み入れていたため、片翼のパドルが止まっても、装置を全て動かすのに必要な電力をもう一方の翼でまかなうことができるのです。しかし、当然発生電力は落ちます。これは観測と直接関係がないように見えますが、太陽電池パドルの片翼が止まるのは、人間で言えば片肺がとまるようなもの。運用側には緊張が走りました。「いぶき」は打上げ以来、初めて完全に観測機器をシャットダウンするような状態を迎えます。再度立ち上げ直したところ、衛星内の温度が一時下がったためかセンサを含めた機器の特性が変わってしまいました。それでも、正確なデータを待っている人がいます。私たちは、正確に観測データを導くために対策に奔走しました。なんとか観測機能を持ち直した時は、「いぶき」が生きつづけられることに安堵しました。

次に、2014年9月頃から、今度はポインティングミラーの調子が悪くなりました。ポインティングミラーとは、観測点に対し高い精度で指向するもので、俊敏に動くモーターが付いており、わずか1秒弱で地球上の観測したいポイントを狙って観測できるという装置です。基本的に衛星に搭載している装置は、宇宙において最低でも5,6年間は修理をせずに使わなくてはいけません。このポインティングミラーも冗長系の設計によって予備の装置を用意していました。しかし、地球から遠く離れた軌道上で現在のポインティングミラーを停止し、予備のポインティングミラーを無事に起動できるかどうかは、完全な保証はありませんでした。もし予備への切替が失敗した場合「いぶき」は全く観測ができなくなる可能性もありました。そんな中、私たちは関係者に手順を説明し、納得していただき、ポインティングミラーの交換を決めたのです。英断でした。2015年1月、予備の装置への切替作業が行われました。それは無事成功し、今までのポインティングミラー以上に元気になり今は若返ったように俊敏に良く動いてくれています。

まだまだ「いぶき」は元気に観測できる、そのような期待の中、3つ目の出来事が起こりました。まさに「いぶき」は満身創痍。今度は冷凍機の故障です。高精度の観測をするため、検出器、いわゆる「いぶき」が持ついくつかある「目」のひとつは、常にマイナス200度に冷凍機によって保たれています。6年間問題なく動作していた冷凍機が2015年8月に止まってしまいました。検出器は、摂氏0度にまで温度が上昇。調査の結果、冷凍機の停止は宇宙放射線などによる一時的な誤動作の可能性が高いと判断し、シャットダウン後再起動をしたところ、無事冷凍機は動作するようになりました。

「いぶき」は、このように幾多の大病を乗り越えて、今もまだ観測を続けています。

私は大学卒業以来、人工衛星の世界にいますが、私自身が関わった衛星の中で、これほど長く観測できたのは初めてのことです。上記の3つの不具合は全て機械系の問題でした。「いぶき」のような衛星は動く部分が多い人工衛星です。過去の「みどり」「みどりII」もいずれも太陽電池まわりが故障したとみられ、10ヶ月ほどで運用停止しました。この経験、反省を活かしたものが「いぶき」に搭載され、機械系の装置は冗長系の設計をし、主要な部分は2式ずつ持つことになったのです。「いぶき」がこのように長生きをしている背景には、「みどり」など他の人工衛星の失敗からの学びがあったからなのです。

そのような衛星の系譜を踏まえてスペースドームの展示を見学すると、宇宙開発の醍醐味を感じられるかもしれません。

注1)環境観測技術衛星「みどり」(ADEOS)。1996年8月H-IIロケット4号機により、種子島宇宙センターから打上げられ、約10ヶ月間にわたって地球観測データの取得を行ったが、太陽電池パドルのブランケット破断の不具合による発生電力低下により、1997年6月30日、運用を停止した。
注1)環境観測技術衛星「みどり」(ADEOS)の後継機。2002年12月14日にH-IIAロケット4号機で打ち上げられた。2003年(平成15年)10月25日 、衛星との交信が途絶え、運用を停止した。

なぜロケットがあるのか。
それは人工衛星を宇宙へ運ぶため。
そして、なぜ人工衛星が必要なのか。

ーー今回、そのスペースドームを取材させていただきましたが、「いぶき」のセンサに関わる久世さんとしては、一般の方々に、さらにどういった部分を見て欲しいですか?

久世 一般の方々には、ロケットが人気ですね。ロケットの前で写真を取る方が多いようにみえます。ただ何のためにロケットがあるのかというと、それは基本的には人工衛星を宇宙へ運ぶためのものです。そして、人工衛星とは何かというと、それぞれの衛星の目的を果たすための装置を搭載するためのものなのです。「いぶき」であればセンサを搭載するために衛星がある、と言えます。GOSATに搭載される観測装置は、「炭素」に由来してThermal And Near-infrared Sensor for carbon Observation (TANSO) と呼ばれています。TANSOは2つのセンサから構成され、地表面で反射された太陽光と、地球大気や地表面から放射される光のスペクトルを観測する「温室効果ガス観測センサ(Fourier Transform Spectrometer; FTS)"TANSO-FTS"」と、大気と地表面の状態を昼間に画像として観測する「雲・エアロソルセンサ(Cloud and Aerosol Imager; CAI) "TANSO-CAI"」があります(詳しくはこちら)。

スペースドームが2015年にリニューアルした際に、「いぶき」の展示もセンサがどういった働きをしているかを知ってもらうために、「いぶき」の実物大模型の横に雲・エアロソルセンサ"TANSO-CAI"によるクイック画像を映したディスプレイの展示を開始しました。これは実際に「いぶき」が取得した数時間前の映像が映しだされています。このクイック画像を見ることで、「いぶき」のセンサが今何を狙っているのかリアルに感じていただけると思います。実物大モデルは大きさを知ってもらうには最適ですが、実際に動いているわけではなく剥製のようなもの。剥製を見るだけではなく、宇宙で動いている「生きたセンサ」を知ってもらえる展示にしたいと考え、このディスプレイを設置しました。

「いぶき」のセンサは非常に特殊なセンサです。人間の目には3色の光しか見えません。光の3原色ですね。人工衛星の比較的一般的なセンサで20色くらいを見ます。そして、「いぶき」は1万色以上見ています。人間が見ることのできない情報を「いぶき」は宇宙から見ているのです。もちろん、二酸化炭素やメタンという温室効果ガスを観測しているのですが、実はそれ以外も見えています。「いぶき」が取得するインターフェログラムには、まだまだ隠れた情報があるかもしれないのです。

例えば、波長 0.77μm付近に感度を持つ「いぶき」のデータには、植物のクロロフィルに太陽光が当たって発せられる蛍光が含まれており、その成分を抽出することで、植物の光合成の活動度を推定することができます。また、「いぶき」の雲・エアロソルセンサ"TANSO-CAI"からは、植生指数(NDVI)のデータも得られ、これらのデータから、植物の光合成による総一次生産量(GPP)、ひいては、炭素固定量を推定できる可能性があることがわかってきました。このように、わからないものを「いぶき」によって紐解いていく。こういったアプローチができるというところが、「いぶき」らしさなのかもしれません。

このアプローチを実現しているのは、「いぶき」に搭載しているフーリエ干渉計によるものが大きいです。このフーリエ干渉計を人工衛星に載せ宇宙から太陽の地球表面の反射光を観測するという考えは、開発当初は無謀ではないかと言われていました。大変、デリケートな装置なのです。しかし、それは無謀な挑戦だったのではなく、1996年から環境研の方々と着実に実験を重ねていきました。小さな実験装置で確認し「これなら衛星に搭載できる」という確信を得るまで何度も実験をしてきたのです。環境研の皆様との強力なタッグがあったからこそ「いぶき」の今の成果につながっていることは間違いありません。

ーー「いぶき」のセンサは「生きている」というような表現をされていますね。

久世 5年間の定常運用期間を終えた「いぶき」は、それ以降は余生を楽しむ、という表現は適切ではないかもしれませんが、言い換えれば、現在は新しい観測方法にチャレンジをしながら運用をしていると言えます。衛星というと、軌道に乗れば後は同じことを繰り返し行なっているように思われるかもしれませんが、「いぶき」は常に進化しているのです。もちろんハードウェアそのものが良くなるわけではないですよ。「いぶき」が進化しなくてはいけないのは、観測対象の地球自身が常に変化しているからです。

定常運用期間中は単純にパターン通りの観測をしていましたが、二酸化炭素やメタンがどう出ているかと考えると、より晴天域を狙って観測をしていくことで有効なデータの取得率が高まりますし、メタンは油・天然ガス田や大規模酪農地帯で濃度が高いことが明らかになってきたため、それらのエリアを狙って観測することが効果的です。
「いぶき」は地球を約2時間で1周します。ビッグデータの時代ではありますが、「いぶき」が観測できる点数は限られています。一個一個の観測データが貴重であり、それぞれに価値を持たせたデータを取得することが重要だと考えています。運用に携わる人たちも打上げ後から最初の5年はまず正しく運用することに必死でしたが、今は多くの経験を得て「いぶき」の運用のプロになっています。ポインティングミラーをどう動かしていけば、地球上の二酸化炭素やメタンの排出・吸収が効果的に観測できるかがわかってきたのです。「次はどう観測しよう、どこを観測しよう」と運用の人たちは毎日試行錯誤しています。そういった意味で「いぶき」のセンサは生きている。止まっているわけではなく、毎日進化してるのです。そして、この毎日のカスタマイズは、必ず成果・新しい発見に繋がると信じています。

「いぶき」は新しいことを気づかせてくれます。
二酸化炭素の排出は、ある意味人間の欲望と深く関係しています。排出を抑えるのも難しい。一方、メタンの発生起源はわからないことが多い。もしかしたら、メタンの方は排出を抑える手を打ちやすい可能性もあります。世界的に見ても、「いぶき」は現在運用されている地球観測衛星の中で唯一地表面付近のメタンを測ることのできる衛星です。今後、二酸化炭素はもちろんメタンについての新しい発見が「いぶき」の観測データから発見され、それが地球温暖化対策への貢献につながっていくことに期待しています。

ーースペースドームには子どもも多く訪れますが、子どもたちへのメッセージをお願いします。

久世 素朴な疑問って大事ですよね。「二酸化炭素が増えている」増えているといっても「どうやってはかるんだろう」鵜呑みにしないで、「本当に増えているのか」など疑問を持ってもらいたいですね。日本は温暖化対策先進国だと言われますが、それならば「いぶき」が地球上の温室効果ガスをどのように測っているのかという点に興味を持って欲しいと思っています。そのような疑問を持ってもらうと、逆に温室効果ガスは地球全体で測らなくてはいけないという必要性がわかるでしょうし、その過程で地球環境問題を解決するには日本の独力だけでは難しい。世界中の各地域で正確にデータが測れていることを確認しなくてはいけない。つまり海外との垣根のない協力が必要となってくることが自然と理解できると思います。

ロケットの前で写真をとるだけではなく、なぜこれが作られていたのかなというところに注目してみてはいかがでしょうか。模型という剥製が並んでいるだけのように感じた展示が、見方を変えた途端に、活き活きと動き出すかのような、動物園のような楽しさが感じられるかもしれません。

(取材・撮影・文 石沢香織)

筑波宇宙センター「スペースドーム」の取材記事はこちらです。