ーーまずは、久世さんと「いぶき」プロジェクトとの関わりをお聞かせください。
久世 「いぶき」とは長い付き合いです。1996年に環境研の方々と共同で実験をした頃を起点とすると、それから20年が経ち、私の社会人人生の大部分を「いぶき」と関わって過ごしてきたと言えるかもしれません。プロジェクトのはじまりは2003年。私はセンサの設計、開発、試作機での実験などに携わり、2007年に搭載する観測機器が完成してからは主にセンサの評価をしてきました。そして2009年、「いぶき」は宇宙へと旅立ちました。言葉にすると簡単に聞こえますが、現在、宇宙にいる「いぶき」からきれいなスペクトルデータが送られてくるまでには苦難の長い道のりがありました。今、全大気の二酸化炭素平均濃度が400ppmに近づいた、あるいは超えたと言われていますが、基本的に全球二酸化炭素平均濃度は1年間ではその1%以下、2 ppmしか増えません。その極めて微量な二酸化炭素の濃度変化を「いぶき」は宇宙から測ろうというのですから、チャレンジングなプロジェクトでした。
打上げ後は、私はJAXA側の衛星運用を担当しています。「いぶき」は、まずインターフェログラム(干渉波形)というデータを取得します。これを地上でフーリエ変換という数学的処理をして環境研へ提供する、というところまでがJAXAの仕事です。実はこのデータ処理の方法は、2009年の打上げ後から10回以上バージョンアップしています。人工衛星というと、宇宙に打上げたら後は軌道を回るだけで終わり、と思われている方が少なくないかもしれませんが、「いぶき」に関しては、打上げてからも改善を重ねて日々チャレンジが続いていると言えます。私としては、より良いデータを取得し、そのデータを研究者が使って環境問題へ貢献するために、精度の高いデータ取得を突き詰めていきたいと、いまも日々取り組んでいます。
ーー久世さんは、まさに「いぶき」のセンサーの生みの親のような存在ですね。その「いぶき」は、無事に5年間の定常運用期間を終え、後期利用運用に入っていますが。
久世 今の「いぶき」は人間で言えば還暦を超えて、いよいよ高齢者になりました。地球観測衛星の中ではかなり長寿の部類です。5年間の定常運用期間では大きな不具合なく元気だったのですが(2010年パドル駆動部の故障はありましたが)、後期に入ってから実は入院をするような病気を3回経験しています。
一つ目は太陽電池パドルの故障です。2014年の5月24日、太陽電池パドルの片翼が故障しました。しかし、「いぶき」は、過去の「みどり」(ADEOS)注1「みどりⅡ」(ADEOSⅡ)注2での経験を活かし、片方が壊れても片方で維持するという冗長系という設計を組み入れていたため、片翼のパドルが止まっても、装置を全て動かすのに必要な電力をもう一方の翼でまかなうことができるのです。しかし、当然発生電力は落ちます。これは観測と直接関係がないように見えますが、太陽電池パドルの片翼が止まるのは、人間で言えば片肺がとまるようなもの。運用側には緊張が走りました。「いぶき」は打上げ以来、初めて完全に観測機器をシャットダウンするような状態を迎えます。再度立ち上げ直したところ、衛星内の温度が一時下がったためかセンサを含めた機器の特性が変わってしまいました。それでも、正確なデータを待っている人がいます。私たちは、正確に観測データを導くために対策に奔走しました。なんとか観測機能を持ち直した時は、「いぶき」が生きつづけられることに安堵しました。
次に、2014年9月頃から、今度はポインティングミラーの調子が悪くなりました。ポインティングミラーとは、観測点に対し高い精度で指向するもので、俊敏に動くモーターが付いており、わずか1秒弱で地球上の観測したいポイントを狙って観測できるという装置です。基本的に衛星に搭載している装置は、宇宙において最低でも5,6年間は修理をせずに使わなくてはいけません。このポインティングミラーも冗長系の設計によって予備の装置を用意していました。しかし、地球から遠く離れた軌道上で現在のポインティングミラーを停止し、予備のポインティングミラーを無事に起動できるかどうかは、完全な保証はありませんでした。もし予備への切替が失敗した場合「いぶき」は全く観測ができなくなる可能性もありました。そんな中、私たちは関係者に手順を説明し、納得していただき、ポインティングミラーの交換を決めたのです。英断でした。2015年1月、予備の装置への切替作業が行われました。それは無事成功し、今までのポインティングミラー以上に元気になり今は若返ったように俊敏に良く動いてくれています。
まだまだ「いぶき」は元気に観測できる、そのような期待の中、3つ目の出来事が起こりました。まさに「いぶき」は満身創痍。今度は冷凍機の故障です。高精度の観測をするため、検出器、いわゆる「いぶき」が持ついくつかある「目」のひとつは、常にマイナス200度に冷凍機によって保たれています。6年間問題なく動作していた冷凍機が2015年8月に止まってしまいました。検出器は、摂氏0度にまで温度が上昇。調査の結果、冷凍機の停止は宇宙放射線などによる一時的な誤動作の可能性が高いと判断し、シャットダウン後再起動をしたところ、無事冷凍機は動作するようになりました。
「いぶき」は、このように幾多の大病を乗り越えて、今もまだ観測を続けています。
私は大学卒業以来、人工衛星の世界にいますが、私自身が関わった衛星の中で、これほど長く観測できたのは初めてのことです。上記の3つの不具合は全て機械系の問題でした。「いぶき」のような衛星は動く部分が多い人工衛星です。過去の「みどり」「みどりII」もいずれも太陽電池まわりが故障したとみられ、10ヶ月ほどで運用停止しました。この経験、反省を活かしたものが「いぶき」に搭載され、機械系の装置は冗長系の設計をし、主要な部分は2式ずつ持つことになったのです。「いぶき」がこのように長生きをしている背景には、「みどり」など他の人工衛星の失敗からの学びがあったからなのです。
そのような衛星の系譜を踏まえてスペースドームの展示を見学すると、宇宙開発の醍醐味を感じられるかもしれません。
注1)環境観測技術衛星「みどり」(ADEOS)。1996年8月H-IIロケット4号機により、種子島宇宙センターから打上げられ、約10ヶ月間にわたって地球観測データの取得を行ったが、太陽電池パドルのブランケット破断の不具合による発生電力低下により、1997年6月30日、運用を停止した。
注1)環境観測技術衛星「みどり」(ADEOS)の後継機。2002年12月14日にH-IIAロケット4号機で打ち上げられた。2003年(平成15年)10月25日 、衛星との交信が途絶え、運用を停止した。