「いぶき」が見ている大気の様子は
まるで1万色のクレヨンで描いた美しい世界
ーー「いぶき」の凄いところはセンサだと思うのですが、一般の方に「いぶき」のセンサがどう凄いのか、今日は、須藤さんにわかりやすく解説していただければと思っています。
須藤わかりました。実はわかりやすく説明することが、とてもむずかしいのですが(笑)。
では、まずこちらの装置をご覧ください。この台の上は小さな宇宙です。
須藤白い球体が「地球」。赤外線を出しているライトが「太陽」。ライトの奥の黒い幕をかぶせた装置が「いぶき」と仮定しています。この装置は実際に「いぶき」が搭載しているセンサをそのまま1/4の大きさにしたモデルのセンサで、機能は全く同じです。これを使って「いぶき」が温室効果ガスを測っている様子を見ていただけます。ところで、私はいつも一般の方にこの装置を見てもらう前に「目の前に二酸化炭素があると思いますか?」と聞いています。ほとんどの方は「わからない」と答えるのですが、それが正解だと思います。そこに二酸化炭素があることを人間の目では見ることができないのですから「わからない」のが当たり前です。しかし「いぶき」のこのセンサ(TANSO-FTS)では、それが「見える」のです。どのようにして「見て」いるのか。そこを説明していきましょう。
まず、何もはいっていないビニール袋を大気に見立てて地球儀の前に置いた時のデータはこのようになります。
特に目立った特徴はありませんね。では今度は、二酸化炭素の入ったビニール袋を前に置きましょう。どのようなデータになるでしょうか。
ーーかなり変わりました。これは何を意味するのでしょうか。
須藤赤外線には幅広い波長があります。赤外線がガスの中を通ると、一部の赤外線が吸収されます。しかし、赤外線といっても色々な波長があり、ガスの種類によってどの波長が吸収されるかは異なるのです。そのため、赤外線がガスの中を通って、どの波長がどれくらい減ったかを見ることで、どのガスがどれくらいあったかが判明するのです。上の装置では、それを実験しているのです。
ただ、大気というのは複雑です。人間の目には見えない。窒素、酸素、二酸化炭素、メタン、それぞれが複雑に交じり合って存在しています。絵画の世界では、印象派というものがありますね。印象派が生まれるまでの画家たちは、実際に形のあるものを線や輪郭を使って描いていましたが、印象派の画家達は触ることのできない光というものを描きました。光を効果的に描いています。喩えは正確ではないかもしれませんが、いわば「いぶき」は、さらに目に見えない「大気」を描こうとしていると考えてみましょう。いや、描こうとしているのは僕たちであって、「いぶき」はクレヨンだと考えてみると良いかもしれません。
ーークレヨンですか?
須藤24色セットのクレヨンと、1万色のセットがあったとします。自然をそのままに美しく描こうとしたら、どちらのセットの方が綺麗に描けますか?もちろん1万色セットですよね。今までのセンサが24色セットであり、「いぶき」が1万色セットなのです。「いぶき」が打ち上がるまでは、私たちが見ていた大気の様子は24色で描かれていましたが、「いぶき」は私たちに1万色で描かれた大気の様子を見せてくれたのです。
もう少し詳しく喩えてみましょう。大気は特定の色のクレヨンを食べるのが好きだとします。気体にも色々あります。窒素や酸素はもちろん、温室効果ガスといわれるのが二酸化炭素やメタンなどです。それぞれの気体は個性がありますから、好物の色は微妙に異なるわけです。しかし、24色クレヨンセットだと色の選択肢が少ない。だから、二酸化炭素とメタンは「赤系」のクレヨンが好物なために、24色クレヨンセットの中では同じ「赤」を食べてしまうわけです。つまり、24色セットのセンサは、その能力として、二酸化炭素なのかメタンなのかを見分けることができないというわけです。
そこで1万色セットのクレヨンの登場です。「いぶき」のセンサです。1万色もあるので、二酸化炭素とメタンは自分の本当に好きな色を見つけて食べることができます。つまり、精度が高く色を見分けられます。色を見分けるだけではありません。クレヨンがどれくらいの量を食べられたのかによって、そこに二酸化炭素がどれくらいあったのか、がわかるわけです。もちろんこれは喩え話ですから、これを実際に数値で、人間が見てわかるようにしたのが、さきほどのデータです。このデータはいわゆる二酸化炭素の指紋のようなもの。メタンもアンモニアもみな違う指紋を持っています。いぶきのセンサで見れば、どの気体があるか、その気体がどれくらいあるかがこのようにはっきりとわかるのです。人間は見ることのできないものを「いぶき」が1万色のクレヨンを使って目に見えるように描いているのです。
ーー1万色のクレヨンセット。24色セットから考えると画期的な進化ですね。
須藤クレヨンはあくまで喩えなので、厳密に言えば的確には表現できないのですが。もちろん、実際はクレヨンではなく、光学センサです。地表面により反射された太陽光と、地球大気や地表面から放射される光のスペクトルを観測し、その吸収スペクトルをこの装置の中にもあるフーリエ干渉計と呼ばれる分光器の一種で測定して温室効果ガスの濃度を決定しています。温室効果ガスを専門に観測する衛星として「いぶき」はパイオニアですが、2009年に打ち上がってから現在まで精度の高いデータを取得し、今まで地上観測データのみを用いて求められていた温室効果ガスの吸収排出量の推定誤差が低減できてきました。この成果から考えると、「いぶき」のセンサは確かに、24色から1万色への進化に匹敵するほどの、温室効果ガス観測における飛躍的な進化をもたらしたと言えるかもしれません。
そして、いわば1万色のデータという多くの情報が取得されるのですから、その情報をどう生かしていくかは、僕たちJAXAはもちろん国立環境研究所の皆様の活躍が今後も期待されるところです。